- ジャストフィットデンチャー
- Just Fit Denture
2025.07.07
正直に言えば、私はずっと入れ歯のことを、「高齢になったら使うもの」「まだまだ自分には関係ない」と、どこか他人事のように感じていました。
しかしある日、思いがけず現実は訪れました。
自転車に乗っていたら、角で曲がってくる車とぶつかりそうになって、なんとか避けたものの、派手に顔から転んでしまいました。
その時に、1本の前歯を欠けさせてしまったのです。
鏡を見てもちょっと欠けた程度で、少し不格好だけど、大丈夫だろうと思っていました。
それでも一応がっつり歯はぶつけたし、先生に診てもらおうと思い、行きつけの歯医者に向かいました。
そこで、レントゲンを先生と一緒に見ながら言われたのは、衝撃的な一言。
「これは、歯茎の中の歯の根元が折れてしまってますね…」
「折れてる?」
「そうですね、ここでポッキリ。よく来てくれました。このままにしておくと、歯がぐらついて歯茎を傷つけたり、隣の歯に影響してしまっていたかもしれないので」
「ってことは…」
「結論から言うと、抜歯ということになるかと…」
抜歯、と。
1年前に親知らずを抜いた時とは、違う響きがしました。
だって、前歯で、一番見える歯で、きっと抜いたら代わりに入れ歯を入れることになって…。
「ああ、順を追って説明しますね。佐藤さん、説明を」
混乱している私に気づいたのか、先生は近くの歯科衛生士の佐藤さんを呼びました。
佐藤さんは、説明用のボードを見せながら、今後について説明してくれました。
抜歯しないことにより考えられるトラブル。
安全な抜歯について。
抜歯の後の、入れ歯の作成と、装着まで。
説明を受けながら、気持ちは沈みました。
何となく「負けた」ような気がしたんです。
まだ若いのに、健康な歯を失ったこと、そしてそれを人工物で補うこと。
見た目もきっと、悪くなるだろうし、と。
その気持ちを見透かすように、佐藤さんは言いました。
「沈み過ぎないで大丈夫です。慣れるまでに少し期間は必要ですが、見た目はかなり、元の歯に近くなりますから」
「そうなんですか?」
私が返すと、佐藤さんは頷き、私に尋ねます。
「ええ。由紀さんの場合は、折れて抜歯する1本を補うための部分入れ歯になるんですが、部分入れ歯のイメージってどんな感じですか?」
「ええと…。歯茎と歯の模型みたいなやつに、銀色の金属のフックみたいなのが付いてて…」
「そうですよね。よくイメージするのはそのタイプなんですが…。由紀さんにおすすめしたいのは、このタイプです」
そう言って、佐藤さんがマスクを外して口を開けて、前歯の1本を指さしました。
「わかります?」
「?」
私が首を傾げると、佐藤さんは「すみませんね」と言って、前歯の一つを抜きました。
「ええっ!?」
「私もね、入れ歯なんですよ、ここ。3年前に、息子と公園で遊んでたら、ボールが思いっきり顔面に当たって、折れてしまったんです」
全くわかりませんでした。
いえ、確かに、佐藤さんがもう一度はめ直したところをよく見ると、確かに入れ歯だなとわからなくもなかったんですが…。
「目立たないでしょう?」
「はい…」
呆気に取られている私の前に、佐藤さんは改めて、ちゃんとしたサンプルの方を出してくれました。
「フックが樹脂でできているんです。だから、イメージしていた金属のフックと違って、ぱっと見は入れ歯を着けているって、わからないんですよ。最近の入れ歯は、見た目が整ってきました」
思わず、このタイプで、とお願いしていました。
抜歯の説明を受けて、明後日抜いてもらって、入れ歯ができるまでは、仮歯を付けることにしました。
それから3週間後、私の入れ歯が到着しました。
しばらくは違和感に慣れながら、よりフィットするように調整を進めていくとのことで、今後のスケジュールも打合せしました。
装着してみて、鏡を見て、驚きました。
佐藤さんのものを見て驚きはしていたんですが、自分の口で改めて見て、驚きなおしました。
「これ、入れ歯ですよね?」
鏡を見つめたままそう零すと、先生と佐藤さんは笑っていました。
「よかったです。その反応がほしかった」
そうやって笑う先生を見返しつつ、私は自分の口角が上がっていることにも気づいていました。
「不安でしたでしょう。いきなり入れ歯と言われると」
「まぁ、そうですね。やっぱり、見た目とか、もう入れ歯になるのかとか、そういうことを考えると、ショックではあったので」
「そういう方は多くいらっしゃいます。だからこそ、こういう入れ歯が今、広まっているんですよね。できるだけ普段通りに過ごせるように、見た目も着け心地も、という」
そう話す先生の横で、佐藤さんが頷きます。
「これまでと変わらずに、由紀さんには笑顔を見せていただきたいですから」
その言葉で、はっとしました。
言葉にできなかった不安が、形になった気がしました。
私が一番気にしていたのは、そこだったんだと。
「入れ歯=年寄り」「入れ歯=生活の制限」みたいに考えて、入れ歯になったのを友達に知られたくないな、歯を見せて笑うことがずっとできなくなるな、と思って。
そうした不安が、佐藤さんの言葉で晴れたことに気づきました。
確かに、歯を失ったことは今でもショックだし、もう入れ歯になっちゃったのかという気持ちはあるし、ケアも必要だし、寝る前に外すときはきっと少し気分が落ちるんだろうなと思うし。
それでも——笑えるんだ。
一番大きく心に落ちていた影が、なくなりました。
きっと、私はこれと付き合っていける。
そう思いました。
こうした経緯で前歯を入れ歯にして、3年が経ちました。
あの時、私に自分の入れ歯を見せてくれた佐藤さんと、同じ時期。
今では、眼鏡やコンタクトレンズと同じ感覚で、自然に入れ歯を使えています。
時々、友達に「もしかして、それって入れ歯?」と訊かれることもあります。
その時も、「そうそう、ぱっと見わかんないでしょ?すごくない?」と、前向きに話せるようになりました。
もし今、誰かが入れ歯を入れることに悩んでいるなら、こう言いたいと思っています。
「大丈夫、ちゃんと笑えるから」